index-archive.php

「道半ば」 image灯台もと暮らし」というウェブメディアに インタビューを受けて掲載してもらいました。

改めて読み返してみて結局のところ、

昔からやっていることは変わってないわけで、

それは自分の存在意義を世に問いたい、

簡単に言ってしまえば誰かに必要とされたい。

自分のやっていること、やろうとしていることに

価値があるんだと確認したいということ。

そしてそれは自分の為にというよりは誰かの為という

側面の方が強い気がする。

自分の価値が最大限に発揮できることがヨキコーヒーである。

だからこの町にヨキコーヒーというものが必要とされて、

この町の自慢のひとつになれるとしたら、

これがきっと町の価値になる。

町に一つの新しい価値が生まれることで、

それはきっと町おこしになるんじゃないかと思う。

30代も終わりを迎えて人生の折り返しでもあるこの時期に

こういったインタビューを受けて何となく整理できた気がします。

次なるステージへ。

 

Sun 12, Jun 2016
Halfway
category: Blog

「為すべきこと」 image 映画「A FILM ABOUT COFFEE」を見て来ました。 面白おかしく、分かりやすく簡単にといった内容ではないけれど、 美しい映像と親近感を覚える人物描写でコーヒーの世界の一端に 触れるにはすごくいいドキュメンタリーだと思います。 コーヒーを飲む人にはぜひ見てもらいたいです。 個人的に心にとめておきたいと思ったのは、 「責任」と「余韻」。 コーヒーは一人で作られるものではなく、どこかで誰かが手を抜けば その質はたちどころに落ちてしまう。それはコーヒーに携わる人 全ての手によってその品質が決まるということであり、 つまりそこにはコーヒー豆の生産者に対する責任と 消費者、口にする人たちへの責任がある。 そしてその責任を全うした末に口に運ばれるコーヒー すなわち「スペシャルティコーヒー」には、 身体中を駆け巡り頭から突き抜けるような芳醇なフレーバーが備わり、 素晴らしい余韻を伴うということ。 自分の普段の仕事ぶりはプロフェッショナルとして 責任を果たしているだろうか。 そして提供するそのコーヒーは味わいだけではなく心にも 余韻をもたらすようなものとしてたり得ているだろうか。 見つめ直すいい機会になりました。    

Fri 29, Apr 2016
Things to do
category: Blog

「ほんものってなんだ」 image たまに 「おいしいコーヒーちょうだい」 とか 「本物のコーヒーを飲みに来た」 とか言われる。 要するに世の中にはおいしくないコーヒーや ほんものじゃないコーヒーがある。 にせものじゃないけど、ほんものじゃない。 コーヒーなんだけどコーヒーじゃない。 これってコーヒーに限ったことじゃなくて いろんなことにあてはまる。    

Tue 1, Mar 2016
Genuine
category: Blog

「ふと思う」 image 幸せは掴むものではなくふとした時にかんじるもの。 気を使う人ではなく気を配る人になりたい。 夢は叶えるものじゃなく追いかけるものだ。

Sat 28, Feb 2015
It occur to me
category: Blog

image   美人はショートカットがよく似合う、 なんてことをよく聞くけど 本当にかわいい人は別にどっちでも かわいいと思う。 美人じゃない人はショートカットが似合わない わけじゃないし、ロングヘアなら似合うとか そういうことでもない。 結局のところかわいいとかかっこいいとかって 人それぞれの主観であって客観でもある。 いかにかわいく見せるかかっこ良く見せるか。 それは髪型だけ気をつけててもだめだし、 服装だけいいもの着ててもそれは違う。 その人の話し方や立ち振る舞いとか そういったもの全ての総合点だと思う。 むしろ話し方や姿勢だけでもそう見せること だってできるかもしれない。 そんなことを考えてると「おいしい」っていうのも 人それぞれで何が正解とかっていうのは難しい。 でも「おいしそう」に見せれてるかどうかっていうのは そんなに違わないんじゃないかと。 かっこいいとかかわいいとかじゃなくおいしそう。 おいしそうなコーヒーとかおいしそうなケーキとかは そういうのは置いといて(当たり前として) おいしそうな歩き方とかおいしそうな掃除の仕方とか。 そういうのもきっとあると思うのです。  

Tue 17, Jun 2014
Essence of things
category: Blog

「注力」   image     常に同じである必要はない。 よりおいしくなるのであれば。 その時その瞬間に一番うまいと感じられること。 そこに合わせられるかどうかだ。    

Sat 17, May 2014
Focus
category: Blog

「続けるということ」 image 好きになった人やモノやコトを嫌いになるとういうことは、 そもそも好きではなかったのではないか。 好きになった気でいるだけだったり、好きでいることでいる自分が好きだったり。 その一方でただ好きで居続けることの難しさも考えたりする。 好きでいるいう努力も必要なのではないかと。    

Wed 14, May 2014
Continuation
category: Blog

「目的と手段」 image この町で珈琲屋をやることは手段であって目的ではない。 20代前半の頃はそうだったとしてもお店をやることが夢や目標ではない。 自分の人生で何を為しうるのか。自分の生涯をどう全うするのか。 家族ができ自分一人の人生ではない今珈琲屋として何ができるのか。 一番大切なのはどういう珈琲屋なのかということだ。 何をもたらすことができるのか。    

Wed 14, May 2014
Ends and means
category: Blog

「自家焙煎珈琲屋」


なぜ自家焙煎珈琲屋なのかを考えてみました。
これは僕のキャリアと関係する話でもあります。

僕はいわゆる飲食業界というところでずっと仕事をしてきましたが、
この世界へと足を踏み入れるきっかけになったのは「カルアミルク」
じゃないかと思っています。そう、
カルーアというコーヒーリキュールと
ミルクを割って作るあの甘口のカクテルです。

大学生の時に最初にアルバイトをしたカラオケ屋のドリンクのメニューに
このカルアミルクがありました。その当時はとても流行っていたカクテル
だったので、もちろん知ってはいましたがそれはカルーアとミルクが
しっかりと混ぜられたコーヒー牛乳のような色合いのカクテルでした。

でも、このカラオケ屋での作り方はカルーアとミルクを混ぜずに、
まずはカルーアをグラスの底に注ぎ、次にミルクをカルーアの上にのせるように
ゆっくりと注ぎます。そうするとカルーアの黒とミルクの白がくっきりと分かれて
2層になります。
これは使用する材料の比重を利用して層を作りだすプースカフェスタイルと
いうものですが、この2色のパキッとした色合いとこれを作り出す工程(カクテルの技術)
にすっかり夢中になってしまいました。

そんなカクテルの魅力に魅せられてバーの世界へと飛び込んで
いくわけですが、(単純ですね。。)僕の飲食業界のキャリアのスタートと
いうかバックグラウンドはやっぱりバーテンダーなんだと思います。
だからではないですけど食べ物(料理)よりも飲み物への思い入れが強いんです。
一時は飲み物のスペシャリストになりたくてバリスタ(エスプレッソ)やソムリエ(ワイン)
なんかもやってきました。特にソムリエには本当に憧れた時期がありました。

カクテルは自分が作るわけですからおいしいと言ってもらえればうれしいのは当然です。
同じようにワインもセレクトしたものがお客さんの好みや、その時の料理や、その時の
雰囲気にバシッとはまったりしておいしいと言ってもらえると、なんというか自分だけではなく、
自分がセレクトしたワインも認めて貰えるわけです。
ワインはカクテルと違って物質的(商品)な要素があるので、お客さんと目に見えて
そのワインの背景や価値観を共有することができます。
1本のワインの向こうには作り手であるブドウ農家さんや醸造家がいて、
こちら側には僕とお客さんがいてつながりができるわけです。
そんなことを考えていると瓶詰されたワインは商品ですが、もともとは野菜や果物と同じで、
ぶどうから作られる「農産物」でもあるということに気付かされます。

でワインの話から、なぜの話に戻ると、カルーアがコーヒーだから珈琲屋って
いうわけではなくて、コーヒーもワインと同じ農産物だという話です。
もちろん全てのものには原料があるので、全て農産物だということもできます。
ビールだって紅茶だってそうです。

ワインは原料となるブドウの果実の出来で味のほとんどが決まります。
なのでソムリエは作られるブドウがどんな品種でどのような気候、
土壌で作られたかを知る必要があります。
コーヒーもコーヒーの木の果実がどこの国でどのような風土で育てられ、
コーヒー生豆(果実の種子)がどのような精製方法で作られるかに
よって味わいは変わってきます。そう、ワインもコーヒーも原料ありきだと
いうところに大きな共通点があります。

こうなってくるとだんだんと興味は自然と原料に向かっていくわけで、
そうこうすると畑とか原料が作られる現場を訪れたくなって、そのうち自分も
作ってみたい衝動に駆られたりもして、みたいなことになるわけですが。。

それで最終的になぜコーヒー(自家焙煎珈琲豆)にこうも魅かれるかというと、
コーヒーはコーヒーの木を育てることはできませんが、原料に近い状態、
つまりコーヒーの生豆の状態から参加できるところなのかなと思うわけです。

例えばカクテルで言うと使用する素材をいいものにすればよりおいしくなります。
でもこれは自分の力ではなく素材の力がものをいいます。(もちろん素材をセレクトする眼
(正確には味覚ですが)とおいしく仕上げる技術があってこそなんですけど。)
乱暴な言い方をすれば誰が作ってもおいしいものはできます。

またワインは専門的な知識を使って、星の数ほどある銘柄の中、価格もピンから
キリまである中から、その飲まれるシーンに合わせて選び出す作業(これは音楽の
選曲にも近いものがある気がする)がひとつの醍醐味ではありますが、
そのワインの味わいを作り出す工程のなかには参加できません。

コーヒーは作ってもらった原料のコーヒー生豆をその豆の個性が一番出せる状態に
焙煎してあげて、それに合わせた方法で抽出する。また逆に自分の思い描くコーヒーの
味わいがあって、そこから逆算して原料を選ぶということもできる。
この流れというか思考の工程が自分にはすっと落ちるところがあるんです。
自然というか、無理がないというか。なんでだろうとそういうことを考えているうちに
コーヒーってカクテルの世界とワインの世界の両方の要素があるなと。

だから自分はコーヒー、とりわけ自家焙煎珈琲というものにこだわるのだと。



Tue 5, Feb 2013
thought < a coffee roaster >
category: Shop

<ヨキコーヒーとは>

ヨキコーヒーは今の所、僕個人が自家焙煎珈琲屋として活動する時の名前です。
今後はお店として開業すればお店の名前、つまり屋号になるわけですが、
ではなぜ<ヨキ>かというところも含めて書きとめておこうと思いました。

ヨキ(joki)というのはフィンランド語で「川」を表します。

珈琲屋として活動するときに名前が欲しかったので、あれこれと考えました。
その時に決めていたのは「○○○コーヒー」にするということ。

単純に分かりやすいという理由もありますが、自分自身への宣言でもあります。
それは自分は珈琲屋であるということです。

きっと自分の性格上いろんなことに手を出したり、飽きたりして道を見失います。。
そんな時お前は珈琲屋だろっとつっこみを入れてくれる言葉です。
そして、一番のミッションは何はともあれおいしい珈琲を作り、
おいしいを届けるために最大限自分ができることをするのだと。

僕が住んでいる町は標高は250mとそれほど高くはないですが、
山に囲まれた小さな町です。いわゆる高知県の中山間地域に位置しています。

この町に来た理由はいろいろとありますが、一つは「自然」に近いということ。
とは言え僕は自然が好きなわけではありません。アウトドアというよりインドアですし、
若いころからずっと都会を追い求め、流行を追い求めてきたシティボーイ(死語)です。

じゃあそれがなぜ?と考えると
ただ単純に「自然」というものを知りたかったのだと思います。
あまりにも自然を知らずに生きてきたから。

ただここで言う自然というのは僕的にはけっこう広義な意味があって、
もちろん「山」「森」[川」[海」とかの自然もありますが、僕が追い求めてこなかったもの。

例えば「地方」や「田舎」、「農業」とか「自給自足」とか、
街ではなくて町の成り立ちやインフラとかも含んでいます。

そもそもの人の暮らしって何?本来の然るべき姿って?みたいなところへの疑問です。
(もっと言うと生きるって何?みたいなことになってしまうのでそれはやめにします。)

また話がずれましたが、名前の話です。
ネーミングって悩みますね。子供の名前なんて本当にこれでいいのか悩みました。
(でも声に出して、読んで、呼んでいくうちに命が宿るもんなんですね)

まずは好きな言葉とか好きな曲とか人とか考えてみるわけですが、せっかく自然の近くに
いるのだからそれにちなんだものにと思い直しました。
それでこの町で一番特徴的な自然なものってなんだろうと考えたとき、
まっさきに浮かぶのは「山」や「森林」です。まわりにはこれしか見えませんから。。
あとはこの町のブランド米「天空の郷」という名前にある通り「空」も近くに感じることができます。

ではなぜ「川」か。

本山町は縦に長い長方形をしていて、その南部の東西を貫くように
吉野川という大きな川が流れています。
吉野川は昔は鮎や鰻が取れる清流だったようですが、
ダムができてからは四万十川ほど清流ではなくなってしまったようです。
でも都会の川ほど汚れているわけでもなく、良く見かける枯れそうな川とも
違って水量もあるし雄大で立派な川です。

それはなぜかというと本山町を取り囲む山々から流れ出る支流といわれる
いくつもの川が支えているからです。
そして、これらの支流はとてもきれいな清流で山に暮らす人たちの生活も支えてくれています。

「川」って「水」なんですよね。(当たり前の話ですが。。)
人が生きる上で必要不可欠な「水」。
でも水って蛇口をひねって出てきたり、
ペットボトルに入ってたりするものだと思ってたりするわけです。
また空気と同じようにあって当たり前に思ってたりもするわけです。

そして、川というのは山と海をつなぐものなんですね。(またまた当たり前の話ですが。。)
だから山の中でごみを捨てれば川を流れて海に流れ出るわけです。
森林を間伐などで保全することで海の環境も改善されるなんて話も良く聞きます。
小学校で習った「海でできた雲が山についたら雨になって川を流れて海にでる。」
つまりすべてはつながっていてそれをつないでくれているのは川なんです。
昔は山で伐った木を川に浮かべて、徳島の鳴門の方まで流して海を渡って
大阪まで運んだなんて気の遠くなるよう話も聞いたことがあります。

コーヒーは水がなければ飲むことはできません。
もっと言うと珈琲豆は外国の山の中で作られて、はるばる海を渡って日本にやってきて、
それを焙煎して、とまたまた気の遠くなるような一連の流れがあって飲むことができます。

自分がやろとしている珈琲屋というのは、その流れを担っているのだと(ほんの一部ですが)
感じた時、あぁ「川」になりたいなあと思うわけです。しかも清流に。清流の方がおいしそうだし。
大きくなくても穏やかな川の流れのように。

で最後になぜフィンランド語かというと北欧とかあの辺りが好きなんですね。
(なんで北欧かなんて話もいつか書きたいと思いますが)
フィンランドで言えばAlvar AaltoとSnufkinが好きです。

それ以前に根っからの舶来主義でもあり、異言語や異文化に触れるとゾクゾクしちゃう体質です。
ま、簡単に言えばミーハーなんですけどね。

そんなこんなで<ヨキ>は<良き>。
良きコーヒー。

GOOD DESIGNとかGOOD MUSICとはちょっとニュアンスは違うし、
ちょっと古風な言い方だけどなんかいいなあ思ったわけです。

たかだか名前の説明するだけでどうしてこんなに長いことになるんだろう思いながらも、
考えが整理されたし、(いやある意味散らかったままだけど)それもよきことかな。


 


Sat 2, Feb 2013
thought < joki coffee >
category: Shop

「本物であること」
本物=リアル。人の目に見えるものは実在する。
ただ、目に見えないものも確かにそこにある。
それはただ見えないだけにすぎない。
今いる世界は紛れもなくリアルである。
だがすべてが本物ではない。

世の中には本物と偽物がある。
そしてどちらでもないものもあり、それらは大体において
どうでもいいものでもある。また偽物は必ずしも悪ではない。

ある物が本物か偽物どちらかだったとしても、それを見分ける眼、
理解する思考、感じ取る力が無ければ判別はできない。
それらは視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚の五感全てで
感じてきた経験と知識の積み重ねで得られるものである。

いつしか自分が本物であるかどうかを問うようになる。
今の自分は本物だろうか?自分の焼く珈琲豆は本物だろうか?
それは自分で分かっていることだ。
そして、ここにいる自分は虚構ではなく実像だ。リアルで実在している。

最初から本物であったものもあるし、本物になったものもある。
どちらにも言えるのは本物であり続ける努力、本物になるための努力を
怠ったものは本物たり得ないということだ。
そして、偽物は努力しても本物にはなりえない。

「職人」という言葉が好きだ。
そこには本物であるという匂いやプライドが感じられる。
そんな彼らが届けてくれるものは間違いなく本物だから。

http://youtu.be/6JEdf7XsV5g

Mon 1, Aug 2011
thought < Originality >
category: Shop
Sat 26, Mar 2011
thought < Future ahead >
category: Shop
Thu 10, Mar 2011
thought < Anxious Word >
category: Blog
Tue 8, Mar 2011
thought < Favorite word >
category: Blog
Sun 21, Nov 2010
Preference
category: Blog